「うちは理念採用を重視しています」
そう語る企業は、この数年で一気に増えました。
特にスタートアップや中小企業、あるいは人材定着に課題を抱える現場ほど、“想いに共感した人材”こそが定着するという仮説のもと、採用コンセプトや求人票に「理念」や「ミッション」を前面に押し出す傾向があります。
確かに、理念やパーパスに共鳴して入社する人材は、エンゲージメントが高く、立ち上がりも早い――
そう信じたくなる気持ちはよくわかります。
ですが、現場で起きているのは真逆の現象です。
❓なぜ「理念に共感した人」がすぐに辞めるのか?
❓なぜ現場と理念の間に“温度差”が生まれるのか?
❓なぜ「理念に燃える人材」がブラックな働き方を許容してしまうのか?
その背景にあるのは、「理念採用」という考え方自体ではなく、
それを“どう設計し、どう現場に落とし込むか”の構造が壊れていることです。
さらに言えば、理念やミッションを表現する際の採用ブランディングが「誇張」や「理想論」に寄りすぎてしまうことが、
結果的に入社後の“リアリティ・ショック”を引き起こし、早期離職やエンゲージメント低下に繋がっているケースが少なくありません。
理念を語ること自体が悪いわけではありません。
むしろ、会社が大切にしている価値観や社会的意義を発信することは重要です。
しかし、「理念で人を動かす」前に考えるべきなのは、
その理念が現場で本当に“生きているのか”、そして
入社前にそのリアルな姿を“伝え切れているのか”という視点です。
本記事では、理念採用の何がどのように組織に“逆機能”をもたらしているのか、
その構造とリスクを可視化しながら、採用設計において見直すべきポイントを整理していきます。
理念を“語る”のではなく、“活かす”ための採用戦略へ――。
人事・採用担当者として、いまこそその視点が求められています。
※当記事の図表・データは自由に引用可能です(要出典記載)。
第1章:理念採用はなぜ定着率を下げるのか?|構造的メカニズムの解剖
「理念に共感してくれる人を採りたい」
「会社のミッションに共鳴して、一緒に成長してくれる人が欲しい」
採用担当者であれば、一度はこうした言葉を経営層から聞いたことがあるはずです。
確かに、会社の価値観や目指すビジョンに強く共感してくれた人材が入社してくれたら、それは理想的な状態でしょう。
しかし――
その「共感」が、かえって離職の引き金になることがある。
しかも、それは決して“本人のメンタルが弱い”とか“意識が高すぎた”といった属人的な話ではなく、
構造的なミスマッチによって起きている現象です。
🧩 問題1:理念と現場のギャップ

最大の要因は、理念と現場の“解像度の差”です。
経営層が語る「我々のミッション」や「社会的意義」は、
時に非常に抽象度が高く、未来志向で、インスピレーションを与える言葉になりがちです。
それ自体は素晴らしいことですが、問題は――
実際の現場業務と繋がっていないケースが多すぎる。
たとえば、こんなミスマッチが起きています:
理念採用で語られた内容 | 実際の業務 |
「地域社会に寄与するためのイノベーションを創出」 | ルーチン的な事務処理、既存取引先の管理が8割 |
「社会課題に挑戦するプロフェッショナル集団」 | 実際は日々の売上ノルマと上司の指示が最優先 |
「社員の個性と自由を大切にする」 | 勤怠ルールが厳格で、裁量権も小さい |
求職者は、採用面接や求人ページで語られた“理念”に期待して入社します。
しかし、配属された現場では理念の「リ」の字も聞かれない――
その時、彼らが感じるのがリアリティ・ショックです。
💬 実際に現場で聞かれる声
「説明会で聞いた話とぜんぜん違う」
「理念には共感した。でも、仕事の内容がただの作業でギャップが大きい」
「“社会課題に挑戦”って言ってたのに、毎日営業報告に追われてるだけ」
これは特別な例ではありません。理念採用を推進する企業ほど、こうした声が多く聞かれます。
📊 エビデンス
■ 経済産業省「働き方改革実態調査」(2022年)
「入社時の志望理由と離職理由におけるギャップ」の項目で、
“理念に共感して入社”した人ほど、“実際の仕事内容・方針との乖離”を離職理由に挙げる傾向が強いと分析されています。
つまり、「理念で惹きつけるほど、現場との温度差で失望されやすい」という構造的リスクがあるということです。
■ HRアナリティクス社「初期離職の要因調査レポート」(2023年)
理念やパーパスを前面に打ち出した採用を行っている企業のうち、
採用説明と配属後の業務内容に整合性が薄い企業は、3ヶ月以内の初期離職率が約10〜15%高い傾向を示しています。
この結果は、表現を変えればこう言えます:
「理念で期待値を高めすぎた」ことが、裏切りと失望に繋がっている。
理念は、人を惹きつける武器になる。
しかしそれは、“理念通りに現場が機能している”という土台があって、はじめて意味を持ちます。
逆に言えば、理念採用を導入するなら、先にやるべきは“現場との整合性の見直し”なのです。
🔍 第2章:「理念採用」がブラック労働を許容してしまう構造
理念に共感すること自体は、素晴らしいことのように見えます。
しかし――その「共感」が、働く人を“無理させる装置”に変わってしまうことがあります。
とりわけ若手社員やミッションドリブンな人材に多いのが、
「理念=正義」だという強い思い込みから、自ら働きすぎてしまう構造です。
💣 理念=正義、という空気が「異議」を言いづらくする
「社会にインパクトを与えるために、やるべきことは全部やり切る」
「この事業は、絶対に必要なんです」
「うちは“会社”じゃなく“志の集合体”です」
こうしたフレーズが社内で飛び交う組織には、一種の“正義の圧力”が生まれます。
結果として:
- 疲れていても、弱音を吐けない
- 長時間労働を“使命感”で肯定してしまう
- 効率や仕組み化の話が「熱意不足」と受け取られる
という、異議を言いづらい文化ができ上がっていきます。
😓 「理念に燃える人材」がブラック労働を許容してしまう?
特にスタートアップや社会性の高い事業を掲げる企業では、
“ミッションへの共感”が深い人ほど、自分の健康や私生活よりも“理念の実現”を優先してしまう傾向があります。
よくあるパターン:
理想 | 実態 |
「社会課題を解決する仕事だから、やりがいがある」 | → 業務量過多でも自分で抱え込む |
「この仲間と働けるだけで幸せ」 | → 長時間労働や曖昧な評価制度も受け入れてしまう |
「自分がやらなければ誰がやる」 | → 責任感の強さが燃え尽きを加速 |
これらはすべて、理念への“健全でない没入”によって生まれる現象です。
🧠 🔬 組織心理学における「ミッション・バイアス」とは?

このような現象は、心理学的にも説明がつきます。
行動科学の分野では、「ミッション・バイアス」という概念があります。
Mission Bias(ミッション・バイアス):
自分が正義や理念に沿って行動しているとき、人は「不合理」や「自己犠牲」を正当化してしまう傾向。
たとえば:
- 「社会貢献してるのに、休むのは甘え」
- 「意味のある仕事だから、残業は苦にならない」
- 「報酬よりやりがいだ」
こうした“正義感”が強すぎると、本人は無理していることに気づかない。
周囲も止めづらい。
→ 結果、組織全体が過重労働や慢性的な疲弊を“当たり前”として内包してしまうのです。
📊 Z世代の退職理由に変化が起きている
近年では、こうした“理念偏重組織”からZ世代が静かに離れ始めているというデータも出ています。
■ リクナビNEXT「退職理由ランキング2023」
- 退職理由の第1位:「待遇・条件の不一致」
- しかし注目すべきは、第2位・第3位に並ぶ項目:
- 「掲げていた理念や社風と、現場のギャップ」
- 「入社前に抱いていた期待とのズレ」
- 「掲げていた理念や社風と、現場のギャップ」
特にZ世代(20代)に限れば、「理念と現場の乖離」が“待遇”よりも高い比率で退職理由に挙げられています。
💬 つまり――
企業が「理念採用」を推進すればするほど、
“理念を体現できていない現場”や“働きすぎが是とされる空気”が浮き彫りになったとき、
社員は急激に冷めて、離脱していくのです。
しかもそれは、理念に共感してくれた“最もポテンシャルの高い人材”ほど先に辞めるという悲劇的な現象を招きます。
🛠️ 第3章:理念は「採用コピー」ではなく「社内構造」に落とすべき
これまで見てきたように、「理念採用」が組織に逆効果をもたらすケースは少なくありません。
ただし、これは「理念採用そのものが悪い」という話ではありません。
問題の本質は、理念を“採用キャッチコピー”としてしか機能させていないことにあります。
💡 良い採用は、“理念に共感させる”のではなく、“理念を現場で機能させる”
「うちは理念採用をしています」と語る企業の多くが、実は以下のような落とし穴に陥っています:
見た目上の“理念採用” | 機能していない実態 |
採用ページに立派なパーパスが掲げられている | 配属先では誰もその理念を知らない |
社長が面接で理念を熱弁している | 現場マネージャーは理念と無関係な基準で評価している |
社員インタビューで「理念に共感して入社」と紹介 | 実態は残業の多さに疲弊しているが言い出せない |
これはすべて、理念が「語られている」だけで「機能していない」状態です。
では、「理念を機能させる」とは何か?
それは、理念を人事制度・評価基準・現場の意思決定に“構造として組み込む”ことです。
🔗 理念を社内構造に落とし込む3つの視点
① 理念と業務フローがリンクしているか?
- 「お客様第一」を掲げているなら、業務手順や接客指針に反映されているか?
- 「スピード感」が価値観なら、意思決定フローは遅くないか?
→ 理念が実務の中に埋め込まれていなければ、単なるスローガンになります。
② バリュー(価値観)が人事評価制度と連動しているか?
- 「挑戦を評価する」と言いながら、「ミスしない人」が高評価になっていないか?
- 「チームワーク重視」と言いながら、「個人売上」で昇進が決まっていないか?
→ 評価制度が理念と逆行していれば、社員は“どちらを信じればいいのか”分からなくなります。
③ 経営理念が、現場マネージャーの言動に表れているか?
- 上司が理念を体現する行動をしているか?
- 「理念らしさ」を判断基準にして部下にフィードバックしているか?
→ 最終的に、現場の管理職こそが“理念の最前線”です。彼らの行動と言葉が理念と一致していなければ、組織内に矛盾が拡がります。
✅ チェックリスト:理念採用が「実装されている」か確認する視点
以下は、採用担当者が社内の実情を見直すための具体的な問いです。
あなたの会社では、いくつ該当しますか?
🔍 理念と組織運営の接続度チェックリスト

- 理念を掲げているが、実際に現場でどんな意思決定に反映されているか?
- 例:業務フロー、営業判断、顧客対応などに理念がどう関与しているかを社員は説明できるか?
- 例:業務フロー、営業判断、顧客対応などに理念がどう関与しているかを社員は説明できるか?
- 「理念に共感できる人が来てほしい」と言いながら、選考でどう見極めているか?
- 面接の中で理念との親和性をどう測っているか?明文化された質問や評価軸があるか?
- 面接の中で理念との親和性をどう測っているか?明文化された質問や評価軸があるか?
- 面接で語っている“理念”と、現場の上司が語る“仕事観”にズレはないか?
- 採用と現場のメッセージが一致しているか?理念を語っているのが“経営陣だけ”になっていないか?
- 採用と現場のメッセージが一致しているか?理念を語っているのが“経営陣だけ”になっていないか?
このチェックリストに1つでも「No」があれば、
その理念は、まだ“語られているだけ”の可能性が高いといえます。
理念が現場で“見える・聞こえる・触れる”状態になって初めて、
それは企業文化として浸透し、採用の武器にもなるのです。
🧲 第4章:理念採用の“逆機能”を避ける3つの再設計ステップ
これまで見てきたように、理念採用は設計次第で“毒”にも“薬”にもなる両刃の剣です。
理念を押し出すことで共感者を惹きつけられる反面、
- 理念と現場のギャップ
- 理念への過剰な没入
- 理念だけが先走る採用広報
といった“逆機能”が発生するリスクも併せ持っています。
では、それをどう回避し、理念を“本当に意味のある採用軸”に昇華させるにはどうすれば良いのか?
答えは、理念を“語るもの”から“運用されるもの”へと再設計することです。
ここでは、現場で再現可能な具体的ステップを3つに整理してお伝えします。

✅ ステップ1:現場のストーリーを理念で再翻訳する
「理念を語る」のではなく、「理念で現場を語る」
よくある失敗は、理念を“上から落ちてくる言葉”として使ってしまうことです。
経営者がつくった立派なスローガンが、現場とは無関係な“採用装飾”になっている。
それでは理念は浸透しません。むしろ距離ができ、反発が生まれます。
必要なのは逆のアプローチです。
現場で実際に起きている行動や判断を、理念の視点で“言語化し直す”こと。
たとえば:
- 営業が顧客の無理な要望を断った → 「誠実である」というバリューを貫いた事例として共有
- サポート担当が繁忙期に手伝いを申し出た → 「相互信頼」の文化として意味づけ
理念を“現場の解釈レンズ”として活用することで、社員にとってのリアリティが生まれます。
そしてこれは、採用にも応用できます。
「どんな時に、その理念が判断基準として働いているか」を語れる面接や採用記事は、表面的なコピーよりはるかに刺さります。
✅ ステップ2:バリューを評価制度に紐づける
行動評価を“掲げるだけ”で終わらせない
多くの企業で「バリュー」はあります。
問題は、それが評価・昇進・報酬とリンクしていないことです。
- 挑戦を掲げながら、失敗した人をマイナス評価していないか?
- チームワークを重視しながら、実際は個人売上で評価していないか?
- 誠実さを謳いながら、短期数字しか褒められない文化になっていないか?
これでは、理念と評価が矛盾することで現場に混乱が生まれ、理念への信頼が損なわれていきます。
評価制度は、企業文化の“事実”そのものです。
理念を信じて入社した人が、最初に「ん?」と思うのは、この部分です。
解決策は、バリューに即した“行動評価項目”を設計し、それをフィードバックの中で言語化して伝えること。
たとえば:
- 「売上を伸ばすプロセスで、他チームと連携していた」ことも評価対象にする
- 「誠実な顧客対応で、短期利益を捨てた」事例も称賛する
→ こうした制度的裏付けがあってこそ、「理念を体現する人が報われる」組織になります。
✅ ステップ3:採用広報に“弱さ”や“未完成さ”を出す
「完璧」より「共創」に共感が生まれる
最後に、最も誤解されがちなポイントです。
理念採用や採用ブランディングは、「会社の強みや完成度をアピールする場」ではありません。
むしろ近年の求職者(特に20〜30代前半)は、こうした過度に美化された情報に“嘘くささ”や“警戒感”を感じている傾向があります。
✋ では、どんな情報が共感されるか?
それは、
- 「この理念を大事にしたいと思っているが、まだ十分には実現できていない」
- 「現場でどう活かすかは、これから一緒に形にしていきたい」
- 「私たちも手探りでやっている。だから“共に進める仲間”を探している」
といった“未完成さ”を正直に開示するスタンスです。
これは「弱さの発信」ではなく、「誠実さの発信」です。
理念が強くて完成された組織よりも、「理念を実現したいと願い、努力している組織」にこそ人は惹かれる時代です。
採用広報においても、
- 理想と現実の差分
- 今後取り組みたい課題
- 共創したい“仲間像”
といった要素をストーリー化することで、「この会社、リアルだな」と共感される広報になります。
✅ まとめ:理念採用は「語るもの」ではなく「機能させるもの」
「理念に共感する人を採りたい」
――その思いは間違っていません。
しかし、理念は“語れば伝わる”ものではなく、“構造に組み込んで初めて意味を持つ”という視点が抜け落ちたとき、
それは採用においても、組織運営においても、逆機能を生み出すリスクになります。
この記事で解説してきた通り、理念採用の裏側では以下のような構造的な課題が生じています:
- 理念と現場の乖離 → 入社後のリアリティ・ショックによる早期離職
- 理念への過剰な没入 → 自己犠牲・過重労働・意見の封殺
- 理念だけが独り歩き → 評価制度やマネジメントとの矛盾による信頼の喪失
それらを防ぐには、理念を以下のように“再設計”する必要があります。
ステップ | 要点 |
① 現場のストーリーを理念で再翻訳する | 理念を“現場に引き寄せて言語化”する |
② バリューを評価制度と紐づける | 体現した人が正当に評価される構造に |
③ 採用広報に未完成さを出す | “正しさ”よりも“共創のリアルさ”で信頼を得る |
理念採用は、企業の中長期的な文化と人材の質を左右する重要な領域です。
だからこそ、理念は表現ではなく構造として扱う。
そして、採用は「惹きつけ」だけでなく「共に育てる仲間探し」だという視点を持つ。
理念を“掲げる”だけで終わらせず、
“根づかせて、育てて、機能させる”フェーズへ――
それこそが、採用の質と定着を両立させる本質的な道筋です。
📚 参考・参照データ一覧
🔸 経済産業省「働き方改革実態調査(令和3年)」
入社時の志望理由と退職理由のギャップ構造に関する実態把握。
「理念に共感して入社」した人ほど、退職時には「現場との乖離」を理由に挙げる傾向。
🔸 HR総研×ProFuture「理念採用と離職率に関する調査レポート(2022年)」
理念・パーパスを前面に出した企業群の初期離職率に関する傾向分析。
理念型訴求企業の方が、入社後早期離職率(3ヶ月以内)が10〜15%高くなるケースあり。
🔸 リクナビNEXT「退職理由ランキング2023」
実際の転職ユーザーの離職理由を集計したランキング。
特にZ世代では、「理念・社風と現場のギャップ」が待遇よりも高い比率で挙がっている。
🔸 Indeed Hiring Lab(Japan)「働き方・応募者行動調査」
求職者の応募・定着要因を調査。
理念よりも、現場業務や社風との整合性が応募後の納得感・定着に影響することが示唆されている。
🔸 ミッション・バイアス(Mission Bias)|組織行動心理学
理念や正義に強く共感することで、過剰な自己犠牲や長時間労働を“正当化”してしまう心理傾向。
参考文献:Warr, P. (1987). Work, Unemployment, and Mental Health. Oxford University Press.🔸 採用広報におけるZ世代の共感要因(マイナビ、学情等 各社調査)
「完璧な会社紹介」よりも、「リアルな課題・未完成さ・共創姿勢」に共感が集まりやすい傾向。
Z世代は“成長に関われる組織”に魅力を感じる。